【香港】2019年香港デモの理由とデモ内部 実際に入って感じたこと たかし

メンバー別渡航記

前回はロシア編でした。今回は香港のデモについて書いていきます。本当は時系列順には香港⇨ロシアだったのですが、ゆっくり丁寧に書きたかったので順番が逆転してしまいました。すいません。

今回、題名にもありますように2019年6月12日に香港のデモに実際に見て、参加とまではいけませんが、デモの中に入って来ました。

元々、私は香港のデモに高校生の時から興味を持っていました。多分、池上彰さんのテレビ番組で香港のデモについて触れられていて、僕と同じような年齢の若者が政治に関心を持ち、自らの手で民主主義を掴み取ろうとしている姿勢に強く共感しました。

そんな政治に興味がある僕は、大学に入る際も今の東工大にはいるか某大学の文系学部に入るか合格発表後も悩みに悩み東工大に入りました。

東工大に入ってからは、政治学のゼミに所属し「民主主義」について深く勉強しました。研究室には中国大陸からの多くの留学生が在籍し、香港に対して多くの日本人と異なる考えを持つ彼らとの討論はとてもたのしいもので、一層香港の問題に対して興味を持って行きました。

また、個人的に「民主化の女神」と名高い、Agnes 周庭さんを受験期に見たテレビで興味を持ち彼女の講演会などにも足を運びました。

なぜか分かりませんが、「乱世備忘」のDVDも買ってしまいました。

映画は香港の地理やデモの経緯を知っている人にとっては面白いものですが、何も知らないで見るとチンプンカンプンだと思いますので、ウェブ上に載っている記事でも良いので見てみるといいかもしれません。

香港のデモは、1997年のイギリスから中国への返還が大きく関わっています。香港のデモが、こうだったから などという表面的な体験談では内容を説明できず、香港のデモの趣旨とも反してしまうと考えましたので、今回は歴史について述べた後に、体験エピソードをお伝えできたらなと思っています。

断り

私が参加した時点では、デモは過激なものではなくデモ隊も警察も比較的穏やかでした。しかし、2019年11月に東京の大学生が安易な考えでデモを見学し逮捕されるなど、今ではより危険なものになっています。必ず、行かないでください。私が行く際は、香港のことに精通している友達からのサポートを受けて渡航しました。

1. 香港ではなぜデモが?

香港の正式名称は「中華人民共和国香港特別行政区」です。特別行政区は、中国の他の省とは異なりマカオと香港だけです。

香港は社会主義体制の中国下で資本主義体制を維持できる一国二制度が適用されます。

この特殊な2点は、香港がイギリスに統治されていた歴史が大きく関わっています。

1842年アヘン戦争によってイギリス軍に敗れた清国は南京条約によって香港島をイギリスに割譲しました。1860年にはアロー戦争で九龍半島を割譲、1898年には新界を99年間という期限つきで租借、今の香港がイギリスの統治下に置かれました。

イギリスの統治下に置かれた間に香港は貿易港として小さな漁村から発展しました。

1997年にイギリスから中国へと香港が返還されました。その際にイギリスは香港の完全な民主化を成し遂げることはできませんでしたが、民主化の種をの残すことはできました。以下では、1997年以降について詳しく説明します。(というか、イギリス統治下の事はあまり詳しくなく、自分の勉強不足です)すでに中国以上に発展とげた香港の経済力を維持するためにこの際に、一国二制度を適用し、民主主義と市場経済を残しました。(この時すでに、中国は改革開放で社会主義市場経済を導入しています)

1997年の香港返還にあたり、作成された「香港特別行政区基本法」は香港の憲法のようなものです。(ミニ憲法)基本法には香港のトップである行政長官の選出を選挙委員による間接選挙と定めましたが、2007年以降は「普通選挙の実施の可能性」が明記されていました。

ところが、2004年に2007年の普通選挙実施を却下され2014年以降の実施が2010年に宣言されました。

ところが2014年に選挙出馬に関して指名委員会1200人のうちの過半数の使命を条件としました。

親政府派、中国政府派が圧倒的多数を占める指名委員会では民主派の候補者が選出される可能性は低く、民主派を除いた普通選挙の実施が決定されました。

この事態に対して香港大学の教授が香港の金融街・中環を占拠するオキュパイ・セントラルをを計画しました。これは道路に座り込んで逮捕されるのを待つ事で、香港警察や香港世論、国際世論の道徳心に訴えるものです。

警察が催涙弾を使用し始めてからは、デモ隊は雨傘を持って催涙弾から身を守り抗議し続けたため「雨傘運動」という名前がつきました。

79日間続いたデモに初期から参加した黄之鋒(ウォン・ジーフン)氏と周庭(アグネス・チョウ)氏は雨傘運動以後、今現在のデモまでリーダー的存在とされています。

出典 Citizen News【雨傘運動3週年:DQ威權行動】

Timeの表紙にもなりました。右の写真の方は黄之鋒です。

若者を中心とした中国政府の決定に対するデモ活動は、統率するリーダーの不在や民主派の組織ごとの足並みの乱れによって市民の反発も高まり、最終的には警察により排除されてしまいました。

金鐘には「It’s just the beginning」と掲げられました。

これは、始まりに過ぎない

というのが和訳でしょう。

そして、2019年2020年のデモです。この記事を書いている2020年2月はコロナウイルスの蔓延により香港で目立ったでもはありませんが2019年は1年間を通していくつもの大きなデモが主催されました。

2019年6月9日に行われたデモには100万人以上の人がデモに参加したと言われています。香港の700万人ほどですので人口の1/7ほどが参加したデモです。

2019年には6月15日には200万人と1人(6月13日にでもに参加した男性を弔う意味で付けられた)がデモに参加した。

これらのデモの最初の目的は、逃亡犯条例の反対です。

2018年に台湾で殺人を犯した男性が香港に逃亡し、香港警察が男性を捕まえたにも関わらず、香港は中国や台湾,マカオと逃亡犯条例を結んでいないため犯人を台湾に移送することができませんでした。

これに対し、中国との逃亡犯条例を結ぶために立法会(日本で言う議会)に逃亡犯条例の改正案を提出しますが、逃亡犯条例を中国と結んでしまうと、香港で反共産主義的な中国政府批判をするものは中国に送られて不公平で不透明な判決を下される可能性がある事を示唆します。

また、日本人にもこの条例は適用され香港に入国したりトランジットできたりした人などが香港で逮捕され中国に引き渡される可能性もある。

そのような逃亡犯条例の改正を止めることがデモの目的でありました。

しかし、警察がデモ隊を止めるための暴力行為がエスカレートしたことで市民が香港政府に逃亡犯条例を含む「5大要求」を掲げました。

5大要求
1.逃亡犯条例改正案の完全撤回
2.普通選挙の実施
3.独立調査委員会の設置(警察の違法行為の検証委員会のようなもの)
4.逮捕されたデモ参加者の逮捕取り下げ
5.民主化デモを暴亂とした認定の取り消し(デモの暴動認定の取り消しを求める)

 

1.逃亡犯条例改正案の完全撤回はすでに受け入れられていますが他の2−4に関しては未だ香港政府は受け入れていません。

 

2. 香港デモ内部とは

デモは2日にわたってみにいきました。

1日目は夜に到着し空港から直接デモが行われている金鐘を訪れました。

金鐘の周りには、立法会(議会)を取り囲むように多くのデモ参加者がいました。

参加者のほとんどは、若い人が多く時よりお年寄りは見かけますが、ほとんどいなかったように思います。

また、スーツ姿の男性や女性も見られたため仕事帰りの方も参加しているのが分かりました。

その付近には警察も待ち構えていますが、何もせずただ眺めているだけでした。(監視しているんだと思います)

座り込んで、ビラをデモ隊に配っている人もいました。

ビラには「No China Extradition 」と書いてあります。

道路を占拠している様子はありませんでしたが、時よりデモ隊を支持する車が身を乗り出して応援している様子を見受けられました。

1日目は夜も遅かったので少し早くホテルに戻りましたが多くの参加者は深夜まで残っていたそうです。

2日目、ホテルのニュースを見ていると立法会前を占拠しているのを確認することができましたので、デモを見に行きました。

デモが行われていない場所は平穏で人々が普段通りの生活をしています。

しかし、一度デモに近づくと人の量に圧倒されます。立法会周辺は多くの人で埋め尽くされています。

そんな多くの人が参加するデモですが、内部は秩序が存在し生き物のように動いていました。

デモ隊の外側の方では、物資と提供を呼びかける人がその場で必要なものを声を大にして呼びかけています。

傘や水、ガムテープの提供を呼びかけていました。

提供された物資は、バケツリレーのようにデモ隊の中の物資の貯蓄センターのようなところに集められます。

僕も、マスクを頂きました。

デモの前線に近づくと警察とデモ隊の間に大きなバリケートが設置されています。

また、前線の人の多くは食事としてマックのハンバーガーを食べていました。

デモ参加者は時間を追うごとに多くなり、外国のテレビのカメラも何社か来ていたようです。

階段の壁には、多くの香港加油[香港がんばれ]という寄せ書きが貼ってありました。

人々の心が、香港の自由を守るんだという強い気持ちを感じることができました。

歩いている際に、デモの参加者の方からお菓子をいただきました。栄養補給食のようなお菓子でした。とても甘くて疲れていた僕にとって、とても美味しかったです。

そんなデモ隊の方の優しさに触れながらデモを見ていたのですが、

突如、警察が催涙弾を発射しました。マスクを油断して下ろしていた僕は、ツン という刺激が鼻に走り痛みを感じました。急いでマスクを挙げて、地下に逃げ込みました。周りの人も持っているマスクを他の人に配り、みんな駅の地下に逃げ込みます。

地下は、警察から逃げてきた人たちでごった返していて切符もなかなか買えませんでしたが、老人の方を優先的にとうしたりなど香港人の優しさと多いやりを感じることができました。

その後は、デモに近づかずマックでニュースを見ながら時間を潰しそのまま空港へと引き返し日本に帰国しました。

3. まとめ

今回は2019年6月11日、12日に香港のデモを見に行きました。見に行ったと言うと遊びで見に行ったわけではなく、ずーと、香港のデモとはどんなものだろうかと興味を持っていました。そして、なぜ多くの学生が積極的に参加しているのか疑問でした。もちろん、ニュースでは若い人たちは貧困でそして自由な香港が当たり前でそれが危機に瀕しているから戦っていると云うのは知っていました。しかし、実際に参加すると香港の人々の自由の侵害は私たち日本人が考える自由の侵害とは次元が違う話です。急に、近所の人がいなくなって気づいたら中国で収監されていたって話だってあります。

彼らの自由の侵害は広義で人命に直結している話なのです。

デモの参加者数=民意 とするのは総計であります。沈黙する多数派の声を聞け、という意見も一理あります。しかし、それはデモには共感するがデモには参加できない人の存在だってあるわけです。 

抗議することは権利であります。日本もその権利は確かに保証されていますが、周りの空気に呑まれてデモなどは大規模化しません。

香港のデモは、権利を行使しているだけだ何も悪いことではないと考えます。

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